じょりらぼ

野菜だったりプログラムだったり電子工作だったり

地図って面白いよね、地名とかって面白いよね
というわけで住んでるところがバレそうですが、
近所の地名が不思議だったもんでちょっと調べてみました。

 

【!注意!】
個人的な調査と想像を交えながら書いていますので、学術的根拠はありません!
ふーんそうなんだ、ぐらいにお楽しみにください。

 

 岐阜県瑞穂市生津周辺の地図ですが、
町の名前がなんだが立派?な感じがします。

生津外宮
生津内宮
生津天王

といった感じ。お世辞にも歴史ある町並みなんかがあるとも思えません。
近くに住んでいて長年疑問でした・・・

ぇ、こんなところに外宮と内宮があるん?
地図をよく見てみるとありました。

生津内宮 ・・・ 神明神社
生津外宮 ・・・ 豊受神社

外宮、内宮があるなんてまるで、伊勢神宮を思い出しますね。
そういえば、伊勢神宮瑞穂市、つながりがないようであるという話を聞いたことがあります。

f:id:labo831:20190323113351p:plain

 瑞穂市のホームページより抜粋(http://www.city.mizuho.lg.jp/1426.htm

 

なんだかいろいろ書いてありますが、
今の伊勢神宮に定まる前、倭姫命さんは各地を転々として頃合いのいい場所を探していたようです。
その中でしばらく様子をみるためにとどまった場所が「元伊勢」と呼ばれているそうです。
瑞穂市居倉がこの元伊勢にあたるようです、そして生津から川を下ったとも書いてありますね。
これは関係がありそうだ!
しかし、「豊葦原」ってようは葦がたくさん生えてる湿地帯ということですね。
周囲を木曽川水系に囲まれた濃尾平野ですので、想像しやすいですが・・・


で、元伊勢についてググってみるとwikiにこんな記述が。

元伊勢 - Wikipedia

天神神社 (瑞穂市) - Wikipedia

ふむふむ、なるほど。
居倉から次の場所に向けて出発するときに船を用意した場所が生津なんですね。
倭姫命は豪雨でこの地にしばらく滞在したという」とも書いてありますね。
湿地帯ですからね・・・さぞ苦労したことでしょう。
「生津」という地名からも水害に弱かったことが伺えますね。

 

以上のことから、倭姫命さんが安住の地を探している途中に立ち寄ったということがわかりました!
名前には何かしら理由があるもんですね・・・

しかしまたなんで、居倉にしばらく滞在したのでしょうか?
近くに中山道がありますが、時代的には中山道が確立するずっと前のことと思われます。
交通の要所だったのでしょうか・・・このあたりは謎です。